ティファニーの歴史は、1837年ごろ、
西部開拓時代のアメリカにさかのぼります。
創業者チャールズ・ティファニーが、
友人ジョン・B・ヤングといっしょに
ブロードウェイに、ファンシー雑貨と
ステーショナリーの店を出したのがはじまりです。
チャールズは当時、NYで流行の東洋趣味や、
格調高い英国ヴィクトリア朝スタイルの
小物類を販売し始めました。面白いことに、
日本風のグッズがニューヨーカーたちに
大人気で飛ぶように売れたといいます。
『ティファニー』の特徴は、創業当時より、
一切値引きをしないことにあります。
これは当初から画期的な商法だったようです。
やがて、ダイヤモンドなどのジュエリー部門に進出。
「ティファニー・セッティング」とよばれる革命的な
立て爪式石止め法を発案。今では、
世界でもトップクラスの宝飾店となり、
「ティファニーで朝食を」という映画の名作まで生んだことは、
ご存知の通りです。
プラダ
イタリアはミラノにある「プラダ」。
創業は1913年、マリオ・プラダが革製品
とアクセサリーのブティックをオープンしました。
世界中の珍しい素材を加工した
オリジナル・トランクやバックをつくり、
上流階級を中心に高い評価を得て有名になってゆきました。
しかし、1958年にマリオが他界すると、
しばらく低迷の時代が続きます。そんなプラダを救ったのが、
マリオの孫娘・3代目のミウッチャ・プラダ。
彼女は、防水性・丈夫さ、軽さを備えた工業用のナイロン素材
“ポノコ”と皮革を併用したバックを開発しました。
それ以後、斬新なアイデアで1985年には靴、
1989年にはプレタポルテ、1992年には姉妹ブランド「ミュウミュウ」
を発表して、大きく躍進。今では世界じゅうの女性から絶大な支持を獲得し、
世界的なヒット商品を生みつづけています。
エルメス
5代170年近くにわたるエルメス。
エルメスは、1837年、
パリにアトリエをオープンし、
いわゆる下請業者としてスタートしました。
1880年、顧客への販売をはじめるとともに、
馬具の製造を開始しました。1892年、
ケリーバッグの原型、「オークロア」が完成。
当初は馬の鞍を入れる鞄として使用されていました。
クロアはフランス語でベルトのことで、
ふたの部分をベルトで締める構造をしめしています。
1903年、事業の多角化に乗り出し、バック、
財布などの製造を開始しました。
衣服にファスナーを使うことになった契機は、
1903年、エルメスが初めて使用したことによります。
1947年、ジャン・ゲラン香水部門設立。
有名な「バーキン」は、1984年、
フランス女優ジェーン・バーキンが小さい旅行鞄がほしかったため、
自らのデザインをオーダーメイドで発注し、
その後、いつも持ち歩いていたことから、
彼女の名前をつけて商品化されました。
シャネル
CHANELはガブリエル・シャネル
(ココ・シャネル)が創立したブランド。
シャネルは1883年、フランス南西部ソーミュールの
救済病院で生まれ、その後孤児院で
恵まれない他女時代を送った。
成長したシャネルは、英国の青年実業家と出会い、
彼のバックアップを得て1910年、パリに
「シャネル・モード」という帽子屋を開店、
飾り気のない、それでいてフォルムの
美しい帽子が評判を呼び、店は大成功を収めた。
・一次世界大戦が始まると、
シャネルは南フランスのドーヴィルに移り、
そこで洋服を作り始めた。シンプルで無・のない
服は着心地もよく好評を得、「ハーパース・バザー」誌に
取り上げられて、新世代のデザイナーとして認められることとなる。
1921年に初の香水、「No.5」を発表。
これは現在でも最も有名なフレグランスの一つとして名高い。
1971年にシャネル永眠後、しばらくシャネルの人気は低迷するものの、
1983年、カール・ラガーフェルドがデザイナーに就任して以後
、再びシャネルブームが起こり、
現在では最も有名なブランドとしての地位を築き上げている 。
グッチ
グッチの創業者グッチオ・グッチは、
1922年、英国からの革製品の輸入・販売店を
フィレンツェに開業。その店は順調に売上を伸ばし、
翌年にはフィレンツェ伝統の職人技術による、
ハンドメイドの高級革製品の店を開くことになりました。
当時の政情不安を背景に、
グッチは何度か倒産の危機に見舞われますが、
独自のアイデアで見事に乗り越えていきました。
1935年、国連による経済制裁で、
イタリアは他国との貿易が禁止。
皮革の入手が困難となったグッチの経営は
たちまち危機に瀕しましたが、グッチオと
彼の息子アルドは、確保していた
原皮を存らさないように、皮革以外の
素材をミックスして製品を作ることを考えました。
この時に生まれたのが、竹と革を組み合わせた「バンブーバッグ」です。
そして1938年アルドは自社のバッグにマークを
自らがデザインを引き、自分のイニシャルの
Gをふたつ組み合わせた、いわゆるGGマークを完成させたのです。
グッチオの損後、グッチはその息子や孫に受け継がれ、
「ビットモカシン」や香水などの大ヒット商品を生み出しました。
しかし、経営的な内部紛争が絶えず、企業改革に苦慮する日々が続きました。
しかしグッチは、90年代に入り・本的な企業改革に着手。
94年にはクリエイティブ・ディレクターとしてトム・フォードを迎え、
伝統と歴史に現代的なトレンドをミックスした新しい
ブランドイメージを作り上げ、華々しいイノベーションを遂げたのです。
ブルガリ
ギリシャのカラリテス地方で、
先祖代々の技術を受け継いだ銀細工師ソティオ・ブルガリ。
彼が紛争の絶えないその街を出て、ローマの
システィーナ地方に店を構えたのが1884年のこと。
ここに古代ローマとギリシャの文化が融合した、
ブルガリジュエリーが誕生したのです。
その細工の妙は、同じ形のモチーフを精巧に重ねて
壮大な建物に仕上げるというギリシャ建築の
手法にヒントを得ており、カラーの豊富さは、
彼のファッションへの造詣の深さと、
斬新なセンスから生まれたものといえます。
また、ペンダントヘッドのモチーフに多用される
ゾディアック(星座)は、ギリシャ神話が
そのルーツとなっています。
歴史の素晴らしさを受け継ぎながら、
それらをモダンなデザインにして蘇らせる…、
それがブルガリスタイルといえるでしょう。
代表作としては、ゴールドやシルバーの
素材をコイル状に巻くという工芸技術を用いた
トウボガスラインや、蛇をモチーフにした
スネークリング、括弧をモチーフにした
パレンテシ、オニキスなどの宝石をはめ込んだ
ブルガリ・ブルガリシリーズがあげられます。
1999年には、ミレ二アムにふさわしいゴージャスな
B-zero1、遊び心あふれるゴッチャやアストレアなどの
ラインも発表され、早くも世界の女性たちを魅了しています。
また、1977年に初めて発売された
ブルガリ・ブルガリシリーズの時計も、
その洗練されたデザイン力が高く評価され、
20余年の間に時計のブランドとしても名を
馳せるようになりました。最高級の素材を
カジュアルに仕上げたソロテンポやアルミニウムは、
セレブリティにも幅広く愛されています。
古代ローマとギリシャの文化、
伝統的な細工技術と斬新なデザイン…、
ブルガリは・反するものを見事に融合しました。
厳かなムードを漂わせるジュエリー、
ギリシャ建築を思わせる時計など、
ぜひとも自分のものにしたいブランドです。
ルイ・ヴィトン
旅行鞄メーカーとしての
ルイ・ヴィトンの歴史が始まったのは、
1837年。この年、地方から上京し、
上級階級の人々の「荷造り職人」となった
ルイ・ヴィトンは、卒丈で美しい木箱を作る
技術で次・に頭角を現わし、
1854年にはパリに世界初の旅行鞄専門店を開業しました。
当初の製品はナチュラル・レザーやグレーのキャンバス地を
使用したスーツケースで、その実用性とデザイン性は
パリの人々に高く評価されていたといいます。
その後ルイ・ヴィトンは、97年に再び商品化された
市松模様「ダミエ」を考案。そして、
1896年、ジョルジュ・ヴィトンのアイデアで、
「モノグラム」が誕生しました。茶色の地に、
ベージュでLVのロゴと日本の家紋から
ヒントを得た花の略図をあしらったモノグラムの柄は、
キャンバス地にコーティングを施した素材にプリントされ、
このブランドのシンボルとなったのです。
それから90年後の1986年、
麦の穂をデザイン化した型押し革による「エピ」を発表。
1993年にはメンズ向けの「タイガ」、
カーフを使った格式高い「オペラ」シリーズと、
そのラインナップを確実に広げていきます。
そして1998年にマーク・ジェイコブスを迎えた
ルイ・ヴィトンは、新たなイメージを打ち出して
多くの人々を其かせました。中でも衝撃的だったのは、
「ヴェルニ・シリーズ」の発表。エナメルのような
光沢と息をのむほど鮮やかなカラーを持つヴェルニは、
世E中で大ヒットし、新生ルイ・ヴィトンの誕生を
多くの人々に印象づける結果となりました。
フェラガモ
サルヴァトーレ・フェラガモは
1898年にイタリアで生まれ、
・い頃から靴屋で働き、16歳でUSにわたります。
マレーネ・デートリッヒ、キャサリン・ヘップバーン、
イングリッド・バーグマンらを顧客にし、名声を得た後、
イタリアに戻り271927年、フィレンツェで開業しました。
波状のウェッジ・ヒールやフラットフォームソールなどを生み出し、
350もの特許を取得し、流行だけでなく、
足にフィットした履き心地のよい靴を信条としています。
イタリア製にこだわっており、
ライセンス契約もサングラス以外には行っていません。
1967年からは、レディス、メンズのプレタポルテを含めた
トータルファッションを・開しました。
2000年秋冬コレクションより、「エルメス」、
「トラサルディ」などで活躍した、
マーク・オディベがレディスのデザインを担当しています。
アルマーニ
1934年イタリア・ピアチェンツァで
アルマーニは生まれます。
ミラノの大学で医学を専攻していましたが2年目
に兵役のため退学します。兵役が終了した後、
イタリアの百貨店で紳士服を手がけたことが
ファッション業界へ入る理由になりました。
1968年、建築家セルジオ・ガレオッティと出会い
アルマーニに大きな転機が訪れます。
2年後、アルマーニは独立しフリーのデザイナーになり、
1975年アルマーニは会社を設立します。
セルジオ・ガレオッティとの共同で
「ジョージオアルマーニSPA」社を設立に続き
「ジョージオアルマーニジュニア」(ジュニア部門)
などを次々に発表していきます。
1979年ニーマン・マーカス賞受賞し、
「モードの帝王」の地位を得ます。
1980年にはリチャード・ギア主演の映画
「アメリカン・ジゴロ」の衣装を担当。
ハリウッドに進出してたくさんの
ハリウッドスターの衣装を担当します。
1981年、若者向けに「エンポリオアルマーニ」を発表。
エンポリオとは「市場」という意味。
同年、ジーンズを主とした「アルマーニジーンズ」を発表。
勢いに続きレディース用フレグランスを、
84年にはメンズ用フレグランスを次々と発表。
1984年、映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」
の衣装を担当します。1985年に共に励まし合って来た
セルジオ・ガレオッティが白血病のため損去します。
1991年、カジュアルライン「アルマーニエクスチェンジ」
を発表します。2000年秋冬コレクションからはビジネスライン
としてメンズ・レディスを統合した「アルマーニコレッツオーニ」
をスタートさせます。
素材の品質のよさを追求し続け、シルエット、デザイン、
着心地の良さをも追い求めるアルマーニの
デザインはとどまることを知りません。
アルマーニのミラノの拠点、
アルマーニ・テアトロを設計したのは建築家の安藤忠雄です。
ディオール
デザインの新風、クリスチャンディオールの
デザイナーとしての誕生は1946年、
40歳を迎えたときでした。
大学卒業後に始めた画廊経営はアメリカ大恐慌のため閉鎖。
それ以降、村意のどん・にいたディオールが、
偶然にも当時「コットン王」と呼ばれていた
マルセル・ブサックと出会い、
パリ・モンテニュー通り30番地に長年夢を見てきた
「クリスチャン・ディオール・オートクチュール・メゾン」
を誕生させました。ディオールがプサックに会いに行く途中、
道に落ちていた星型につまずき、
それを拾ってポケットに入れたままメゾン設立の夢を語ったことから、
星はディオールのラッキーモチーフとなり、
その後も様々なデザインに登場することになります。
1947年 2月12日に「コロール(花冠)ライン」を発表。
細くくびれたウエスト、美しくシェイプされた豊かな胸、
そしてたっぷりとしたロングスカートドレス…。
モードの歴史を変えるほど衝撃的なデビューを飾りました。
後に雑誌「ハーパース・バザー」の編集長が「ニュールック」
と命名して以来1950年代 パーティカルライン、
オーバル、シニュアス、 チューリップ 、Hライン 、
Aラインと発表しつづけ、「モードの王」として君臨しました。
1948年 香水部門の会社「パルファン・クリスチャン・ディオール」を設立。
アメリカにおいてライセンス生産を開始。
しかし1957年 クリスチャン・ディオールは53歳の若さで
心臓発作により損去。後継者には彼の右腕として活躍していた
若干21歳のイヴ・サンローランが継承することになりました。
その後、マルク・ボアン、ジャンフランコ・フェレと引き継がれ、
1997年からはジョン・ガリアーノがデザイナーとして君臨しています。
ガリアーノがデザインするディオールは今までの上品で
繊細な女らしさを残しつつ、ドラマティックでフェミニンな
新しいディオールを誕生させる歴史的なものになりました。
ベルサーチ
アレグラ・ベルサーチとは、
2004年6月30日にイタリア・ミラノの
高級ブランド「ベルサーチ(Versace)」の
筆頭株主になった18歳の女子高校生のことをいう。
アレグラ・ベルサーチ・ベック [Allegra Versace Beck]が正式名らしい。
アレグラさんは1997年に米マイアミで殺害された、
創業者のジャンニ・ベルサーチ氏のめい。
故ジャンニ氏の保有分だった、
ベルサーチ株式の50%を相続した。同氏は生前、
アレグラさんを相続者に指名していた。
ジャンニ氏の兄でベルサーチの最高経営責任者(CEO)
であるサント氏が株式の30%、妹に当たるアレグラさんの
母が20%をそれぞれ所有している。
アレグラさんは2004年6月30日に30日に
18歳の誕生日を迎え、2週間前にミラノで盛大な誕生パーティーを開いた。
本人は「(ベルサーチの)経営に興味はなく、女優になりたい」と話している。
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